活動内容

@地域の歴史的建築物・景観資産
A景観保全と地域の歴史的建築資産の再生・活用実験
B地域住民との研修会
 ■第一回研修会
 ■第二回研修会
 ■第三回研修会
 ■第四回研修会

B地域住民との研修会 ■第四回研修会

PDFでパンフレットをダウンロード

・日時 2011年 2月 7日(火)
・時間 7:30〜18:30
・会場 長野県東御市(海野宿)上田市上塩尻
・参加者 行政職員・商工会・住民 計13名
RAC 2名

 東御市と上田市はかつて小県郡と呼ばれていた地域で、信州の蚕種製造の中心地であった。調査によると、昭和村には信州の蚕種が数多く入っていることが判明した。おそらくこの地域から、鳥居峠を越えてもたらされていたのであろう。特に海野宿と上塩尻はこの地域でも、蚕種製造で有名なところある。また、当時の景観が地域の方々に守られ、残されていることでも良く知られている。海野宿は養蚕町として国重伝建地区に選定されており、上塩尻地区は重伝建地区を目指している。
 今回は、研修会と地域間交流をかねて行った。講師として、米山淳一先生(横浜歴史資産調査会専務理事・地域資産活用プロデューサー)に助言をお願いした。海野宿の案内は東御市教育委員会堀田雄二氏、講師は小林康人氏(海野宿保存会々長)、上塩尻の案内は上田市教育委員会中沢徳士氏、講師は清水卓爾氏(ゆうすげと蝶の里の会代表)にお出で頂いた。

・海野宿
 昭和62年に重伝建地区に選定されている。
 昭和村の集落も視野の先には重伝建地区がある。私たちの関心も、海野宿保存会が普段どの様なご苦労されているかお聞きしたい。
 宿内見学の前に、小林会長のガイダンスを受ける。小林会長のお話では、保存会の会員は、本海野地区全戸数500戸が会員で、その内、伝統的建造物の所有者は約110戸であり、会の運営は会員から選任された40名の役員がおこなっている。無償のボランティアで活動しており、観光案内は会を中心に行っている。伝統的建造物所有者いがいの方も役員として活動し、また、地域全体で宿を守ろうとしている。さらに、会の方針として観光化は目指していないとのことである。残念なことに心ない業者が宿の入り口で店を開いており、イメージを損なっている。
 海野宿は、北国街道の宿でなく、蚕種製造の聚落として重伝建地区の選定を受けている。地域間交流も蚕種・養蚕地域と行っている。下関市とも養蚕が縁で交流しているとのことである。
 米山先生は、日本ナショナルトラストに在籍していた時に、海野宿の重伝建地区選定に関与されている。お話しでは、文化庁が当初、重伝建地区の選定は、伝統的建造物の住環境の整備が目的の一つであったとのことである。重伝建地区選定されると、地域の観光化が避けられない。所謂、観光公害からくる住環境の悪化である。観光は本来「国の光を観る」ことにあるが、訪れる側だけでなく受け入れる側にも大きな問題がある。白川郷の例をとっても、観光客でなく受け入れる側の観光公害(良くない例)が生じている。受け入れ側は、訪れる人に、偽物は見せない、売らないことが大事である。受け入れる側として全てボランティアで負担するのではなく、地域維持のためにも企業化が求められる。但し、組織は開かれた、構成員に対して平等なものでなくてはならないとの助言を頂いた。1時間ほどの話し合いの後、宿見学を行った。
 宿を見た感想としては、蚕種が生んだ富の大きさを充分に知ることが出来た。
 午後は、上田市上塩尻を訪れた。

・上塩尻
 上塩尻も北国街道沿いの蚕種製造で栄えた集落である。この地区も古い集落景観が良く保存されている。此所でのキーパーソンは清水卓爾氏である。ご自身のお宅もかつて蚕種製造に携わっていて、当時の施設を保存し、必要な時に公開されているようである。
 上塩尻は、東西に街道が走り、南に平地がひらけ、北側には山がせまった街道沿いの狭い地域である。かつて、裏山の頂上まで石垣積みの段々畑(桑畑)が300段もあったとのことである。清水氏は、街道沿いの収穫景観を守ると共に、かつて集落を支えていて、養蚕の衰退と共に荒れ果てた段々畑の復原を10名程のお仲間と共に行っている。
 私たちが見る限りではとんでもない作業に見えるが、自分たちの力でやろうと思えば出来るということを見せることが肝心であり、自分たちでできることは、行政などにも頼らず自らの手を動かす事を淡々と語られた。人が集まることにより、様々な得意分野がカバーできて、不都合は感じないそうである。
 復原している段々畑の周囲の畑には、蝶の集まる植物を植え、自然環境の復原にも努めている。
 案内板等のデザインにも気を遣い、上田市の統一看板を使用して、異質なものを排除するようにしている。
 活動のポイントとしてこれから重要と思われることとして、持続した活動の歩哨として、何か収入を得られる方式を考える必要があるとのことでした。運野宿で米山先生が話された事に通じるものがあると思われる。今後も交流をお願いして研修会を終了した。

 
「参考」地域間交流
2010年度RAC研究集会IN上田