2.活動内容

2-2 活動内容

2-2-4 情報発信や地域間交流(DE研究集会・先進地視察)

■第五回研修会・地域間交流

・日 時:2012年2月4日 7:00〜20:00
・会 場:茨城県石岡市上青柳 木崎宅/桜川市真壁町 伝承館
・参加者:講師藤川昌樹先生 米山淳一先生 吾妻周一先生 寺崎 大貴氏 住民11名・商工会1名・議員3名・役場1名・RAC8名

 最初に石岡駅に近い石岡の中心市街地を見学、ここで研修旅行講師の横浜歴史資産調査会専務理事米山淳一さんと合流した。レトロな建物が目に付く。11軒計17棟が平成15年から次々に登録有形文化財になった地域だ。江戸末期創業という酒造会社以外は、すべて昭和3〜7年に建てられた商店で、古くからの建物がよく残されている。木造建築のほか、「看板建築」も多く、時代感覚が幻惑されそうな景観を作っている。店で扱う商品にはレトロなものも取り入れられ、商店主は積極的に建物の説明に応じるなど、町並み維持への意気込みが感じられた。東日本大震災で屋根や壁が破損し、修理の必要が生じたが、市は条例を作り、補助に乗り出している。ただ、屋根瓦職人などが忙しく、まだ放置されている店は多いようだ。

 次に訪れたのは、石岡市と合併した旧八郷町の上青柳地区で、「やさと茅葺き屋根保存会」の木崎真会長からご自宅で話をうかがった。

 この地域は低い丘陵に囲まれ、日本の古い農村風景をよく残している。豪壮な農家が多く、土地の豊かさを感じさせる。木崎会長は、昔の風景がよく残ったのは、木崎家から5キロ余り北にある気象庁地磁気観測所が原因だと説明した。正確な地磁気観測には強い直流電気が禁物なので、技術的な解決策ができるまで常磐線は電化できなかった。また、高圧線も通れず、強い震動も禁止されたため、工業団地もできず、開発されなかったのだという。

 茅葺き屋根の保存は木崎さんが中心になって始めた。「あるとき、茅葺きがどのくらいあるか調べたら、(旧八郷町で)70棟もあった。こりゃ大変だ。残さなきゃ」と思ったのが発端である。茅葺き保存会は平成16年に発足した。茅の葺き替えは、10〜20年単位で行われ、大量の茅が必要だが、つくば市の高エネルギー加速器研究機構(高エネルギー研究所)の敷地にある茅を利用できる。その意味では恵まれた地域である。


 昼食後、桜川市真壁へ向かい、桜川市真壁庁舎から徒歩で真壁の町並みを見て回った。

 街中ではこの日から1か月間続く「真壁のひなまつり 第10章」が始まっていた。普段はほとんど人通りがないそうだが、この町に外から人を呼び寄せた立役者の一つがこのひなまつりだそうだ。平成15年2月に地域の有志が集まり、寒い季節に訪れる客を楽しませたいと、家に死蔵されていたひな人形をそれぞれの軒先や店内に飾った。首都圏に近い地の利もあるのか、人気となり、今では160軒が雛人形を飾り、1か月間に10万人超の観光客が訪れるビッグイベントになった。

 町並み案内ボランティアのガイドさんに聞くと、真壁の大きな特徴は「古い江戸時代の絵地図でも歩けること」。つまり道路や家の敷地などの町の構造がほとんど変わっていない。遡れば、室町・戦国期の真壁氏統治時代の城下町にまで行き着く。その時代から地割・町割に変化がなく、廃城後、江戸時代には商人町として繁栄するようになる。真壁氏時代の痕跡や古文書など、町の時の流れを説明できるのは強みで、昭和村にとってはうらやましい歴史の厚みかもしれない。

 登録有形文化財が104棟と多い。江戸期の影響が残った塗家造りや、寄棟妻入りの町家、大谷石の蔵、土蔵作りの町家などのほか、大きな門を構えた農家なども残る。安政年間以降、明治、大正までの古い建物がある。古い家が列を作っているわけではなく、あちらこちらと分散しているのも特徴である。

 平成5年(1993)に結成されたまちづくり団体「ディスカバーまかべ」が刺激になり、ガイドボランティアや雛祭りなど様々な旗印を掲げた市民グループがそれぞれに活動してまちづくりを織り上げているのも特徴的だと、この日、講師を務めていただいた筑波大学教授でRAC会員の藤川昌樹さんに教えていただいたことがある。米山さんも「市民運動がベースになって行政を動かす、あるいは行政主導でやる、いろいろあるが大事なのはいっしょにやること。行政も市民も専門家、いろいろな団体があって力を合わせているのは素晴らしい」と評価していたが、昭和村ばかりではなく、各地でまちづくりに取り組む人々には興味深い町かもしれない。

図-36 上青柳の木崎宅 図-37 真壁町登録文化財 三輪商店
図-36 上青柳の木崎宅 図-37 真壁町登録文化財 三輪商店
図-37 伝承館での研修会
図-37 伝承館での研修会

 街歩きの後、真壁伝承館で、藤川さんや、桜川市教育委員会文化生涯学習課の寺崎大貴さん、それにディスカバーまかべの吾妻周一さんに、住民運動の経緯や課題、行政側の取り組みや補助の仕方などを説明していただいた。

 寺崎さんには、町の歴史をはじめ、伝統的建造物群保存地区(伝建)条例の制定、重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)選定への流れ、さらには補助金制度、昨年の東日本大震災の被害対策を教えていただいた。

 寺崎さんの説明に対して、参加した昭和村の住民は、住民の意識や規制内容に関心を寄せた。「古い建物を大事にするのは分かるが新しい家に住みたいという気持ちもある。真壁の人の意識はどうか」という質問に対し、寺崎さんは「真壁の住民も同じだ。心の中では古い建物に住むことと新しい建物、住みよい建物にしたいという気持ちが揺れている。一人ひとりのそういう気持ちの中に、古い建物を残そうという気持ちを強めてもらおうと、行政も努力している」と、難しさを認めた。その上で「内部は住みやすく改造してよい。和室をバリアフリーにしたり、内部を完全に洋風にしたりしても構わない。町並みを守るシステムだ。内部は、その人の私有物だが、町を構成している外観は、みんなが昔から見ていた皆の財産だという考え方です。規制は少しするのである程度は不便はありますが」と解説、規制でがんじがらめになるのではないかという不安を解きほぐしていた。

 重伝建選定までの費用については、「当時の町長が金をかけるなというのであまり使っていない。調査費は筑波大にお願いして300万円ぐらいで押さえてもらった。それに地図に数十万円かけた程度。登録文化財の証明石碑は、国が100%出した」と述べ、大きな負担はないと繰り返した。

 建物所有者への補助金については「市と住民で決める。真壁の場合は80%を補助、上限は800万円。規制をかける外観と内部の構造について補助する。単なる内部の修理は補助を出さない。古い建物を持っていない人や空き地も規制するが、新しい建物を建てる場合に周囲の景観を守って建てるなら、400万円が上限で70%補助です」と説明した。東日本大震災による被害では、補助上限がなくなり、90%補助と優遇している。

 吾妻周一さんは19年間の運動の流れをわかりやすく説明してくれた。ディスカバーまかべの立ち上げは、小山高専の河東義之教授が、真壁の町並みを調査し、企画展を開いたことがきっかけの一つ。真壁の良さを示され、「では我々も町を知ろうではないか」と動き出した。全国どこでも同じ町並み、同じような店ばかりという疑問から、町の個性とは何かに注目、たまたま発展から取り残された真壁町の古い町並みを真剣に見つめるようになった。

 グループ会員が自ら取材して書く瓦版を7000部発行、町内に配布した。古い建物に住む住民にアンケートを行い、「先祖の貴重な財産に非常に誇りを持ち、なんとか残したいが、残す手立てがわからない、あるいは子どもがどうしたいのかもわからないという人がほとんど」だと確認した。昭和村にとっても参考になる調査結果だ。

 旧郵便局でコンサートをやったり、町並みの絵画展を開いた。造り酒屋の石倉の中でジャズコンサートをやった。歴史的な建造物をいかに活用するか、眠っているものをどう活かすかが課題だった。安政年間の廃屋を個人が1000万円以上かけて再建した建造物で落語会を開いたこともある。

 外部の人の評価が大きな支えになった。町並みをテーマにしたフォトコンテストを開いたら、「こんな町がまだ残っているのか」と、町の外からカメラを手に訪れる人が相次いだ。大きなきっかけになった。町の良さを気づかせてくれたという。

 その後も、行政への提言や行政の審議会で発言を繰り返すなどで、腰の重い行政を粘り強く動かしていった。

 吾妻さんは、「運動をしないまま合併して桜川市になっていたらこの真壁は埋もれて何も残らなかった。重伝建になっていなければ、大震災で痛めつけられたこの町は終わりだった。重伝建のおかげで国や県から手厚い保護を受けられる」と振り返っていた。

 昭和村の住民は吾妻さんへの質問を熱心に投げかけた。「農業で食べていける村として古い家が残っているのは誇り。しかし、世代が変わればどうなるのか。半信半疑の状態だ」、「古い建物はあるが、景観としては良さが感じられないのだが…」、「文化財になった人と、そうではない人の意識の差はどうか」など、悩みや惑いをそれぞれの言葉で尋ね、当事者意識が少しずつ表に出ているなという印象を受けた。

■2011年度RAC研究集会・シンポジウム
図-38 会場での昭和村写真展 図-39 参加者
図-38 会場での昭和村写真展 図-39 参加者