2.活動内容

2-2 活動内容

2-2-3 地域住民との研修会:(@研修会を通じて糸井地区での景観ルールづくり)

■第三回研修会

・日 時:2011年11月30日 19:00〜21:00
・会 場:昭和村商工会会議室
・参加者:講師福井隆先生 真島俊一先生・住民9名・商工会3名・議員2名・役場3名・RAC6名

・日 時:2011年12月1日 10:00〜12:00
・見学会:生越地区
・参加者:講師福井隆先生 真島俊一先生・住民6名・議員2名・役場5名・RAC6名

・日 時:2011年12月1日 13:30〜16:30
・見学会:昭和村役場会議室
・参加者:講師福井隆先生 真島俊一先生・住民9名・議員2名・役場4名・ RAC6名

 講師のお二人からは、昭和村ブランドとして、古民家の活用や景観の保全を含め、何を基軸に編集し、外に向かって訴えることができるか、事例を交え、お話しを伺った。私たちが普段気付かないで見過ごしている貴重な資源が多数存在していることを知ることができた。

 また、RACが提案した旧沼田警察署分署の活用案について、今後、住民や村役場に働きかけることを確認した。

 福井さんは、宮城県石巻市田代島の「田代島にゃんこ・ザ・プロジェクト(http://nyanpro.com/)」や三重県美杉村「里山工房めぐり」の事例から地域の基軸や暮らしが見える、村の本質に根ざした「地域ブランド」づくりに言及され、生越のまち歩きから見えた昭和村の地域資源についてご指摘頂いた。

 真島さんは生活文化の変遷から、伝統的な民家を現代生活に相応しい暮らしのあり方、昭和村の景観に即したこれからの暮らしぶりについてお話し頂き、歴史文化が生きる新しい風景を築き上げるために大型の地形立体模型造りと、地域を選んだモデル作りのご提案を頂きいた。


第3回住まい・まちづくり担い手支援事業研修会報告
■福井さん:「田代島にゃんこ・ザ・プロジェクト」と三重県美杉村「里山工房めぐり」の事例から

□地域の暮らしが見える一つの判りやすいキーワードが地域を変える

 田代島は宮城県石巻市沖の島で、高齢化と寂れて今にも無くなりそうな島を、猫神社があり、猫が多いことから、猫の島という判りやすい言葉で島越しを始めた(曾て島では養蚕が盛んで、猫は蚕の大敵であるネズミ対策で飼われていたようである。猫神社は養蚕神社であった)。島には犬も持ち込みが禁止されている。このことから観光客が訪れるようになり、Iターンで民宿を始める人もでてきた。牡蠣の養殖も軌道に乗ってきたところで、3月11日の震災で大きな被害を被った。そこで島民は復興資金を得るために、猫の島を助けてという「田代島にゃんこ・ザ・プロジェクト」を立ち上げたところ5,6年は掛かると思った支援金 が数ヶ月で1億数千万円も集まったそうである。猫というキーワードで島民が一つにまとまり、島が変わった。

 昭和村が野菜の村と言っても、ビジネスは見えるが暮らしが見えない。これからの村をどうするか、どう暮らしていくのか、特産品でも交流でも一言で判る言から、地域ブランド化を目指さなければならない。昭和村のキャベツと言うだけで価値を持たせないといけない。讃岐のうどんのように地域のイメージを商品や観光に付加する必要がある。京都、パリと言えば歴史や文化をイメージできるような地域の基軸になるものを示さないといけない。そのことは、地域がどう生きていきたいか、地域の本質を打ち出すことであろう。また、明治の養蚕から始まって時代の変化によって、常に先進的な産業に取り組んでいることも特筆できる。地形(貝の形)特徴として、Shell world Showaなどと名付けても良いかもしれない。地域の特徴をどう表現するか、早く決めることである。

図-26 田代島 にゃんこ・ザ・プロジェクト 図-26 田代島 にゃんこ・ザ・プロジェクト

□地域を売り出す取り組み。場の機能を編集する。

 三重県津市美杉町の「里山の工房巡り」は、11月の3日間期間を限定して、陶芸工房での作品展示と販売、家具展示販売、期間限定のカフェ、古民家を使った作品展、写真を撮り歩いての展示会等、様々な美杉町の里山に展開する場を一つのテーマで編集し、多くの人を呼び込んでいる。

 昭和村に於いても、期間を限定して、テーマを作り、旧警察署分署を村コンシェルジュとして、お茶を出し、垣根(カシグネ)に囲まれたオープンガーデンでカフェ、古民家を使ったマルシェ、暮らしぶりを見せる場等を組み立てて編集する。養蚕民家を利用し、再生しながら開放する。どう打ち出すかによって、村は絶対に変わる。打ち出す場は、自分の好きなもの、腹に入る場所を取り上げる。

 哲学者内山節氏の話で、フランス人に「パリ郊外の方が魅力があると言われるが、すでに4.50年遅すぎた。その間にフランスでは伝統文化が失われた。日本にはまだ残っているので、残っている間に見直すべきである。」言われたとのことである。

図-27 里山工房巡り 図-27 里山工房巡り
図-27 里山工房巡り※左図はクリックで拡大
■真島さん:昭和村の今とこれからの暮らしで考えなければならないこと

□暮らしの現状

 昭和村の暮らしの特徴、良いこと、困っていること、下段の集落での暮らしと、台地の上の使い方からみた特徴。保存したい養蚕農家は、大切ではあるが、もともと暮らしと生産の場が一緒になっていて、近代的な生活になじまない。

 伝統的な家屋と大型冷蔵庫や洗濯機等の電化製品と、昭和村ではどういう暮らしが良いか考える必要がある。伝統的な生活では洗濯は外で行い、干しているが、現代では、洗濯機が家の中にあり、住まいの中で位置づけないと近代的な暮らしにならない。

 衣類はというと、曾ては代々使っていた古着が、世代毎に買い替えるため、たまっていき家の中は衣類だらけになる。

 冷蔵庫は、メーカーのパンフレットと実際に使われていることと内容が乖離している。賞味期限が切れているもの、腐ってしまったもの、薬やはたまた汚物等食べ物を入れるだけでない。昭和村で作った新鮮なものを古くして保管し、食べている。不健康な生活をしているのが現状である。クリーンな生活を目指すため、冷蔵庫の実態を、伝統的な家屋でも調査してみる必要がある。

 また、冷蔵庫は家族がよく通る場所にあり、掲示板や伝言板であり、情報交換の場でもある。このことは住宅設計者でも知らない。

 みなかみ町雲越仙太郎旧居では、普段使用する道具をつるしておく積み置き収納である。衣類は蚤落としと言ってつるしている。これは昔も今も変わらない。まえに述べたように家の中は、積まれた衣類だらけである。また、家の中にある道具は、30坪の家で、30,000点ほどある。戦前の10倍である。

 住まいは、食べること、作るところが中心で、それに夫婦の寝室、子供部屋(部屋には子供はいない)。住まいの基本の場所(団らんの場所)は、以前は食べる場所であったが、現代ではテレビのある居間が中心となっている。

図-28 みなかみ町 雲越仙太郎旧居 図-28 みなかみ町 雲越仙太郎旧居
図-28 みなかみ町 雲越仙太郎旧居

□産業の工業化が暮らしを変えた

 産業革命で最初に工業化したものに衣料がある。養蚕・製糸がそうである。また、衣料の工業化が進む中で、クリーニング産業が生まれ、現代では、洗濯機と洗剤のおかげで家庭で簡単に洗濯が出来るようになった。

 食の工業化はカップラーメンに代表され、加工食品の発達は、住居における台所が不要になる現象が起こっている。家電は、昭和30〜40年代に工業化社会に入る。車の工業化は軍需産業によってその進捗は早い。また、大型機械を使った農業も、農地の大型化に伴い営農スタイルも変化している。

 家庭電化製品の進歩は、女性の家事仕事を忙しくし、負担を大きくした。近代的な家族では、女性はなぜ忙しくなったか。曾ては家族で分担していた家事を今では専業主婦ということで全て押しつけている。家事の手伝いをしないで育つ生活感が無い子供達が育っている。

□これからの暮らし

 家庭電化製品を上手に伝統的家屋に使い、大型冷蔵庫、洗濯機置き場(洗剤置き場を含め)、洗濯物干し場をうまく取り込むことを考える。

 伝統的家屋、養蚕民家のリノベーションは、サッシ、暖房を考慮する。昭和村モデルをつくる。

 家の中の道具を出来るだけ少なくする。

 昔の子供は家事で忙しかった。特に重要なこととして、家族は家事を分担し、一人に押しつけない。家族間で協力しない家庭は、家族が暮らす住まいとは言わない。

□福井さん:真島さんの話を受けて

 冷蔵庫がそのような状態ならば、昭和村へ行けば取り立てで安心なものが食べられると言うことも売り物になる。

 養蚕民家の活用では、ものが無い広い空間を作り、非日常の空間を演出する。日常から解放されて、ほっとする。

□福井さん:沖縄の池間島のこと

 島では代々跡継ぎがお年寄りの面倒を見てきた。若い世代が近くの宮古島へ出て、お年寄りのところへ通って面倒を見ることになった。そのことから、お年寄りは、捨てられたと思い、家でお年寄りを面倒見るという島の伝統が自分の代で終わると考えた。そこで、若い人達は、島のお年寄りの話を聞き、お年寄りの出番、やることをつくることにした。話し合った中の最高齢で88歳のご夫婦が民泊を始めることになった。そのことから他の、お年寄りも動きだした。これをきっかけにHISが島のお年寄りの昔話を聞きに行くツアーを企画することになった。島の暮らしが、今では観光に活用される時代である。

□真島さん:昭和村モデル、地形模型(ジオラマ)が必要なこと

 台地の上での大型機械を使ったこれからの営農のありかた。機械化と農地の集約、酪農、大地での住居と暮らし方、上と下で1000mの高低差は航空写真では地形をどのようにあつかって良いか判らないと思う。営農方法、耕地、道路の規格等どのようなやり方が良いか、産地として問われ、信用されるテストが必要となる。

 暮らし方は、家庭電化製品の使い方から養蚕民家の活用、年をとった人から多世代の家族がどう住むか、どのような昭和村モデルが出来るか問われている。また、近代化(農業や暮らしの中)には無駄が多い、メンテナンスのシステム昭和村方式の構築も必要となる。昭和村の財産、商品価値・生活価値を議論するチームで無いと事業力のUPは図れない。昨年の震災で日本は崖ぷちに立たされている。昭和村は、曾て生産方式を馬から牛に転換するという産業の変化の対応に選択眼がある。ヒットメーカー昭和村が生活と生産の総合力がこれからは試される。

■12月 1日 10:00〜16:00 福井さん:生越のまち歩きから

 昭和村生越は山、畑、家、高い垣根と、きれいに手を入れた偉大な庭、そこに重なる蔵の風景が素晴らしく、美しい。この風景の中にあるものを、どのように編集して、どう打ち出すか、それも単純に分かりやすく伝えるにはどうすればいいのか、考えて欲しい。

 祈りの風景の中に生越、昭和村の魅力があると感じた。例えばキツネの石像。ひょうきんな狐、すました狐、寝ている狐、それらは住民の信仰、祈りが現実の暮らしの場、生活の中にあるので魅力的だ。「狐さんに会いに行こう」というイベントでも十分、人が来てくれると思う。

□すさまじい木がたくさんある。巨大な樫木や一位の木に驚いた。そして庭の手の入れ方が凄まじい。こんなにきれいに手を入れているなんて考えられない。東京だったら天然記念物。私は勝手に偉大な庭と名づけた。奥にある垣根(カシグネ)の高さはすごい。お金のかかった有名な庭園に負けない偉大な庭、歴史的な庭、それが皆さんの暮らしの現場にたくさんある。それはすごいことである。

□手の入った庭と蔵が重なり合うような風景がいっぱいある。だいたいほとんどの家に1本ずつ柿木がある。昔ひもじい時代に柿木を植えて子どもおやつにしたのであろう。そういう風景がたくさん残っている。蔵は美しい、緑と重なるといい風景になる、たたずまいがいい。そこに垣根、何と背の高い垣根なのか。高野槙の木も大きくて花火のようだ。

□こういう山があり、畑があり、家があり、それが昭和村の風景。風景という目で見るとほんとにどこも美しい。あえていえば、美しい村連合というお立場である以上は、ゴミなどは拾っておきたい。

□こういう風景の中にあるものをどう売るか、ということである。どのように編集して伝えるのか。

 私は、祈りの風景の中に昭和村の魅力、生越の魅力があると感じた。それをどう編集して伝えるか。一つ具体的に挙げるとすれば「狐さんに会いに行こう」である。

 祠の中にこういうキツネさんいろいろいる。表情の違う狐がいる。ひょうきんな狐、すました狐、居眠り狐。「キツネさんを探しましょう」というだけでも魅力になる。そういうのでも人が来るかなと思うかもしれないが、来ます。きちっとやるのであれば本格的に調べて一つのコンテンツ=魅力にして売り出していく。たった一つそれだけでも昭和村の魅力につながっていく、観光ビジネスにもなるかもしれない。

○住民の皆さんの信仰心、気持ちがあるから魅力になる。暮らしの場、生活の中にきちっと残っているからこそ魅力がある。
それと同じようなことが山ほど残っている。それをどうとらえて昭和村を一つの形として打ち出していくのかが大事である。

○物を売るにしても見ていただくにしても活用するにしても、どう捉えてどう打ち出すか、そこが一番大事。コミュニケーションというのは、今情報があふれているから、ものすごく単純に魅力ある形で伝えないと聞く耳持たない時代である。聞いてもすぐ忘れる。「狐に会いにいきましょう、狐さんに会うんだ」それは分かりやすい。そんなような伝え方が大事だ。
野菜の村でも結構なのだが、それはどこにでもある。それをどう魅力として伝えられるか、考えねばならないと思う。

■真島さん:村の風景史と新しい風景への提案

 村の風景は、自然そのものではなく人が作り整えたもの。300年〜400年をかけて先代、先々代、さらには何代にもわたり、考えられ、作り上げられてきた。今、それを昭和村の風景として皆さんが使い、その中で生きている。

 昭和村は、片品川が利根川に合流する辺りが海抜270メートル、畑になっている上の台地が500メートル、最高度は1428メートルで、実に1100メートルの高度差がある。谷地を中心に集落が生まれ、貴重な田ができ、上の台地は、薪炭や茅場、秣場になり、そのうえは放牧地とされ、さらに上の樹木を活用してきた。秣場は途中から桑畑になり、木がなくなるころには切り開いて今の広大な畑地になった。

 自然に伸びた、つまり曲がりくねった木で多くの家を造り、養蚕農家に使われた船竄ツくりの真っ直ぐな木はおそらく台木作りで育てた。特徴的な大型の垣根は、竹垣を組み、大きく伸びた木を大胆に曲げて作った防風垣根。柿も植え、庭も整備して出来上がった風景は、何百年もかかっている昭和村の生活を映している。

 今、畑地は台地の上のほうにある。畑地のそばに農機具小屋を造り、あるいは家を立てて暮らそうという人も出てくるだろう。あるいは養蚕古民家をより良いものに改造して新しい生活、暮らしのスタイルをつくり出す人もいるかもしれない。

 そこでいくつか提案したい。

■:昭和村地形模型

  家を10ミリから5ミリ程度の大きさにした地形模型を作る。つまり2000分の1くらいの地形模型。1200メートルの高度差だから厚みは50センチくらいか。自然の地形はもちろん、川が片品川へどう流れるか、畑のあぜ道や田んぼ、高速道路を入れる。季節による色分けもいい。この模型で村のこれからの使い勝手、使い分けを考える。

■:伝統的な養蚕古民家の改修、新しい住まいとして活用するための改修、建物や垣根などを整理し、景色を再生する

 例えば垣根なども、1軒の家を囲むだけではなく、集落全体、村全体をくるむように活用すると、実は景色としては原型を押し広めて素敵な風景を作ることが可能だ。新しい村づくりになると思う。

 古民家を新しいデザインを考えリニューアルする。素敵なデザインの中で家庭電化製品(冷蔵庫や洗濯機など)の近代を取り込む。デザインの再生を提案したい。

■:上の台地の農機具類の保管を考えた大型農家、空き家のテスト的な活用

 台地の上では、大きな庇の中に農業機械や農機具類がいっぱい並んでいる。場所によっては野ざらしになっている。機械も屋根があれば長持ちする。新しい風景なのだから、そういう器具類を並べた大型農家のデザインを考えるのも良い。これが昭和村のやり方だね、と賛同を得られた場合には、皆さんが協調して全体の風景作りに活用する。

 空き家が、テストとして新しい形で使い直す計画をやって、それが新しい村の風景になっていくようにしたい。

■:母樹を起こして新しい山林の育成、など

  元の風景を作る。これを大きく展開すると村の風景になる。高齢化対策事業、後継者育成事業、住まいの近代化プロジェクト、幼保一元化なども取り組む価値がある。

表-2 コンセプトマップ ※クリックすると拡大

表-2 コンセプトマップ