2.活動内容

2-2 活動内容

2-2-3 地域住民との研修会:(@研修会を通じて糸井地区での景観ルールづくり)

■第二回研修会

・日 時:2011年10月30日 18:00〜21:00
・会 場:昭和村商工会会議室
・参加者:講師福井隆先生 真島俊一先生・住民10名・サポーター1名・RAC4名

 講師は、昨年度からお世話になっているTEM研究所代表の真島俊一さんと東京農工大学大学院客員教授の福井隆さんである。お二人には、まちづくりのあり方、取り組み方から、住民が明日の地域づくりに向けて、はじめの一歩を踏み出すきっかけとなるお話しを伺った。両氏とも、昭和村は食材が豊かなのはわかるが、食べ方や食べ物(料理)が見えないので、名物料理や好きな場所・物を表に出すべきだと指摘、真島さんは昭和村が持つ生活文化と暮らし方から考える地域づくりを中心にお話しを頂き、手始めにリンゴ料理百種に挑戦するよう提案、さらに昭和村の特質を住民が把握できるようにするため大型の地形立体模型造りを提案、次回に説明したいと言われた。

 福井さんは、昭和村の暮らしが持つ様々な「場の機能」を“再編集”し、コンシェルジェ(住民の好きな物・場所の案内人)の採用や、新鮮な食材を生かせば、先端的な健康医療の市場開拓に取り組める可能性などを指摘、出発点として住民が具体的に好きな物や場所のマップ作りを提言された。

 研修会の最後に、次回では、料理を生み出す部隊、模型作成を担当する部隊の責任者・担当者を決めようと言う積極的な話もあった。

第2回住まい・まちづくり担い手支援事業研修会報告
■地形模型造り 村に潜む情報を知ろう

 真島さんの立体地形模型造りは、住民が昭和村の地形ばかりではなく、村の生活につながる情報を把握する狙いがある。昭和村役場職員が、個人で小型の地形立体模型を作ったことを知り、大型模型造りの実現性は高いと判断した。

 東西10・8キロ、南北9・8キロ、標高は260〜1461メートルで標高差1200メートルという村の特異な地形を、1000分の1から2600分の1程度、つまり最大で縦横各10メートル前後、高さ1・2メートルほどの大きな模型に造り上げる。その場合、隣接する地域(沼田市、旧白沢村、旧利根町、旧赤城村)も部分的に模型に取り込む必要がある。個人住宅も10ミリ程度の大きさとし、畑や林なども立体的に仕上げる。

 真島さんはこれまで3か所で立体模型制作を指導した経験がある。佐渡の旧小木町(現在佐渡市)では約20人が1年間、村予算によるパート労働の形で従事した。

 昭和村では5年程度で仕上げることを提案したいという真島さんは、「小木町では若い女性が地図模型の制作を手伝い、結婚後、子どもに地域の情報を上手に教えていた。模型を作ること自体が目的ではない。制作に関わることで、地域の様々な情報を知ることができる。村外の人を案内するコンシェルジェなども自然に誕生するようになると思う」と、様々な波及効果に期待している。

■先端的な昭和村の暮らしと景観の変化

 また、真島さんは、昭和村合併前の「村誌久呂保」を読んだ印象から仮説だと断って、江戸中期から現代まで300年間の昭和村の生活、生業、風景の変化の概観を描いて見せた。

 江戸期から明治を通して、この地域では馬が鍵を握る生産物だった。そのために、現在は広大な野菜畑になっている「上の畑」は秣場として大切にされていた。もちろん薪や茅も採っていた。明治10年ごろ、馬は2頭を除いて雌馬で、生まれた馬を売ることで現金収入を得ていたとみる。

 昭和に入ると牛や豚が登場する。おそらく豚を食料にする習慣が出来上がりつつあった。鶏卵も年間で65000個も取っていた。日本の他地域に比べると10年ぐらい早い食の変化が起きているという。

 昭和12年になると、牛の数が急激に多くなる。馬は荷馬としての役割がトラックに奪われたためか、急減する。養蚕農家が大型化したのはこのころではないかと推測している。

 昭和村はこのように時代の様相に合わせ少しずつ変化して野菜村になった。段丘の低位から次第に上段へ変わっていった。今は堆肥を作る秣場もなく、農薬に頼る土地になっている、という。

■近代生活の再検討から心地よい景観作りへ

図-24 曾て現代生活の象徴・冷蔵庫

 真島さんはまた、冷蔵庫や洗濯機の使い方の調査結果から現代生活のちぐはぐぶりを皮肉った。冷蔵庫は本来、食材保管庫だが、現状は、実は「期限切れ」食材の保管庫、極論すれば「ゴミの保管庫」になっていると指摘する。「これが近代生活と言えるだろうか」という真島さんは、「昭和村は先進的な土地柄だったと思う。今は生活や仕事をどう組み立てるかの大きな変動期にあり、生活から生業、建物などのシツラエをよく考え直してみる時期」だとして、仕事の場が養蚕古民家から「上の畑」に移ったことや、住居の中にたくさんの生活材が入り込んでいること、新鮮な食材を提供していること、これらを総合して考え、問題点を一つひとつ解決していく中で、心地よい昭和村らしい調和のある暮らしの風景が出来るはずだ、と提言した。

■場の機能再編集 公園で成功、キャスト機能の威力

 一方、福井さんは、「まちづくりとは『場の機能』の再編集だと思う」と述べ、地域の暮らしの機能を切り出し、再編集することで人の集まる場ができることを他県の例を紹介しながら説明した。

 まず取り上げたのは、大幅な利用者増で知られるようになった兵庫県三田市の県営有馬富士公園が、お客をもてなす機能として「キャスト」という考え方を採用した例。同公園はキャストを公募、社交ダンスや写真展、棚田造り、稲作体験、雑木林遊びなど、どのような市民活動も認め、ボランティアに運営させた。ボランティアの条件は活動の内容を自ら市民や仲間に広報することだけ。現在、80団体が登録、行政の一方的な企画だけでなく、市民の自発的活動が公園に新しい機能を付加、利用客増につながっている。

■阿蘇の新しい観光と場の機能

 福井さんによれば、この「場の機能」を「地域の機能」と置き換えれば、まちづくりも同じだという。

 熊本県阿蘇市の門前町商店街は、年間1500万人が訪れる阿蘇山観光の一角にありながら、商店街は廃れる一方だった。立ち上がったのは商店の跡継ぎの若い世代。湧水の美味しさに注目して水基と呼ぶ水呑場を商店の表に出し、客に水を提供した。物の売り買いという商店街の機能だけではなく、客をもてなし、くつろいでもらう機能を作った。商店街に少しでも長く滞在してもらう狙いもあった。

 肉店の跡継ぎは熊本名物の馬肉でコロッケを作り馬(ば)ロッケと名づけた。店に来なければ食べられない名物になった。

 商店主が他の商店の売り物を紹介するようになり、地域の観光スポットを案内することも始まった。商店街ばかりではない。「見る」「歩く」「食べる」「泊まる」という機能のうち「歩く」機能しかない農村集落でも、コンシェルジェ(案内人)という機能を加えた。山の湧水が美味しいと思えば、客を山の麓にある湧水へ案内したりしている。

 商店街や農村集落を歩く人が増えると、食べ物やその他の買い物を求める客も出てくる。レストランが生まれ、次第に宿泊を希望する人も出てきて、農家民宿もできた。

 門前町商店街や、周辺の古い商店街や観光地、温泉などは今、それぞれに「パビリオン」と名づけ、阿蘇地方全体で連携しあうようになった。

 阿蘇地方の取り組みは、新しい観光のスタイルとして注目されている。それが「もてなし」というわずかな人の試みから広がったのだ。「機能で切っていくと、街が変わり始めた。機能を再編集することで大きな変化をもたらした」と福井さんは高く評価している。

■阿蘇の新しい観光と場の機能

 昭和村の場合は、朝採れなど新鮮な野菜、食材を提供できる機能があり、フレッシュ、新鮮という機能一つだけでも文化的な生活の場では大きなポイントになると福井さんは言う。食べる場、あるいは買う場があれば全く違う目で見られる、と。

 昭和村は歴史的に見ると何もかも先進的な土地だという。リーディングなものを提供できる。例えば健康医療という切り口で体にいいものや、病気を防ぐものなどを、具体的に分かるようにして食べ物を先進的に提案し、先端的な企業と組んだりして市場を作っていければ大きな可能性が出来る。そのときに養蚕古民家がどういう機能を持つか、考えながら再編集していく必要があると指摘した。

 その上で福井さんは、当面の進め方として、住民が3つのいい物を具体的に考え、それを再編集し、例えば教育に効果がありそうな場所・物などを地図にまとめていくよう提案した。

図-25 研修会
図-20 談義 図-21 取れたてのなすの漬け物